フロベールの鸚鵡

フロベールの鸚鵡

フロベールの鸚鵡

言葉は遊びの手段であります。
構造に上下はあるかもしれませんが、「遊び」という一点においてヴィデオゲームと文芸なるものは同じです。
でも所詮遊び、たかが遊びと断じるにはあまりにも人間にとって「遊び」なる概念は根源的なものです。
文学なるものを嘲う実学主義者たちだって、つまりは自らのフィールドで遊んでいるにすぎないのですから。
何が言いたいかっていうと、こんなに小説というフィールドで楽しげに遊んでる作品はそうそうないよね、という驚異の感情であります。やあ、すごいなぁこれは。