涙で活字が見えない

ボディ・アンド・ソウル

ボディ・アンド・ソウル

調べたら世の中には色んな「ボディ・アンド・ソウル」という本があるのですね。
桜沢エリカは久しく読んでないなとか色々思いつつ。

どこからはじめるのか? どこでも
あたしが察ていた範囲では、法則はほとんど存在しない。物語内部に普遍的な引力はないのだ。あるいは動的な(すなわちアインシュタインの理論から導かれる)宇宙モデルに照らすなら、なにか、ヒントは見出されるのかもしれないが。たとえばヒデオくんはイメージから出発した。
イメージ。
世界が音楽でできている、とする。この世界が。

(注:原文では太字部分は傍点)


フライの小説分類はちょっと馬鹿みたいな発想だとは思いますが、その馬鹿らしさゆえに僕はこれを好んでいます。その分類に従うなら、近代の私小説という流れを潜り抜けたあと、俺たちが立ち会うのはまた神話の時代です。ライトノベルが現代の出版業界の商業的規模から比して以上なほど持て囃されてきたのかを鑑みるに、それは読者が神話の創出を求めているからではないかという思いがぴーんと浮かんでくるわけです。ぴーんと。
ライトノベルで大事な(とされる)のはキャラクターと世界観と挿絵ですけれど、これは神話にだって言えることで、大事なのはコンテンツ。語りの文体なんて軽視されまくる浮羽の如き存在なのです。
そこに何があるか/誰がいるか/何をするか/どんな絵師か/だけが聞き手にとって重要であり、語りというものがここではどこまでも希薄になっていきます。
以下、涼宮はるひ(検索回避)のネタバレを含むっぽいのでそれでもいいよという方のみどうぞ。
最近非常に売れた(らしい)涼宮はるひ(検索回避)の憂鬱がまさにはるひを創世神とする神話である(未読なので聞き書きですが、ここまでネタバレされて読む気になれるかどうか察してくださると幸甚です)わけで、以外のこのお話というのは掘り下げれば深いのかなと思ったり思わなかったり。考えてる本人の思考が浅薄なのが一番の問題ですが。

古川日出男に話を戻すと。氏の作品は恐ろしくテーマが明確です。ロックンロール七部作、ベルカ、吠えないのか、LOVE、etc……
そして、その世界はどこまでも神話的です。モデルがあるからですね。宇宙の、世界の、モデルが。
しかし、神話的でありながら、氏は文体を投げ捨てません。自分の呼吸を、リズムを、スピードを、手放さない。
もし、俺がライトノベルに手を出しづらい理由を求めるとするのなら、構造としての神話なんかよりもっとポップでもっと勢いのある言葉を使って神話を紡ぐ作家がライトノベル系レーベル以外に存在しているせいかもしれません。ただ、「NHKにようこそ」において、俺は私小説的な語り(極度のアイロニー)の世界とライトノベル(神話)の接近を見ることができるわけで、滝本氏(禿頭・ひきこもり・対人恐怖症)の今後の作家活動には大いに期待を寄せています。



……思考がいい感じに散乱しているのは本上まなみの余波です。ええ、はい。

NHKにようこそ! (角川文庫)

NHKにようこそ! (角川文庫)

頑張ってほしい。

批評の解剖 (叢書・ウニベルシタス)

批評の解剖 (叢書・ウニベルシタス)

面白かったです。