スターバックスの注文が、上手く言えない

高校生くらいのとき、街を歩いていると、よく女の人に声を掛けられた。別に自分の顔が神木龍之介だったとかそういうわけじゃなくて、絵画の展示即売会の案内だ。
即売会の種類は大体三種類で、ラッセンミュシャ(ムハ)、天野義孝だった。
彼女たちは大抵白いジャケットに身を纏っていて、きらきらとした笑顔で話しかけてくる。
「こんにちは。絵画に興味ありますか?」
そう言いながらチケットを差し出してくるのだ。自分がアートに造詣があると思われるのはそんなに気分が悪くないというかむしろ嬉しいというかどんどん言ってくれよみたいな感じになるのだけれど、チケットを受け取ろうとすると彼女たちの様子は豹変する。
「本当に、行ってくださいますか」
いや、行こうが行くまいがこっちの自由じゃないですか。あなたたちはチケットを配る、僕たちはそれを受け取って、興味が沸いたら案内されてる会場に行く。それでいいじゃないですか。
そう思って僕が不機嫌な顔をしていると、人通りの多い歩道の真ん中で、彼女たちはその展覧会がいかに充実しているかを説明する。未公開の新作がお値打ち価格で手に入りますよ。専門の解説員が案内しますよとか。しまいにはこちらの着ているジャケットの色まで誉めだす始末だ。
仕方なく、行きますよと宣言をする。第一、もう人と会話なんてしたくない。心の電池が切れそうだ。
「お願いしますね」
何度も念を押しながら、彼女たちは僕から遠ざかる。きらきらした笑顔を振り撒きながら。

しばらくその通りに面した喫茶店の窓際に陣取っていると、彼女たちは相変わらずきらきらした笑顔でチケットを配り続けている。配っている相手にはなんだかどんよりとしたオーラを纏っている。そんなどんよりとした人々に、彼女たちはきらきらを武器にして積極的に突っ込んでいく。
彼女たちのほとんどはきらきらしている人に近づかない。まるで磁石みたいに、似たもの同士は避けあっているみたいだ。
僕はふと備え付けの鏡越しに自分の全身を見てみた。やっぱりなんだかどんよりとした空気が肩のあたりにわだかまっているのが分かった。もう駄目だ。きらきらした彼女たちからどんより側に認定された僕には、きらきらすることなんてできはしない。
頭が痛くて掌で顔を押さえつける。
指の隙間から僕は通りに溢れているどんよりときらきらの交差を眺めている。どんより、どんより、きらきら。どんよりどんよりどんよりどんよりきらきらどんより。
夏の川辺みたいにちらちらと光を返す人の波は、ラッセンの絵より面白い。僕はつい、ラッセンの展覧会が終了する時間まで喫茶店で粘ってしまう。
さっきまでチケットを配ってた人が僕の姿に気づいた。静かに、着実に、肉食動物みたいな身のこなしで喫茶店に近づいてくる。チケットが捌けなかったせいか、きらきらしていたオーラが曇っている。その曇りの向こうに、ラッセンの描いたイルカが見える。でもそれはいるかというよりは不動明王みたいに険しい顔つきで、今にも僕を折伏してしまいそうだ。くりくりとした目玉には般若のような炎が宿っている。


いやだ。


どんよりとしたイルカが、僕に向かって歩いてくる。


流行に合わない、黄緑のジャケットを誉めにやってくる。